某自動車会社(1982年4月~1983年3月、1年)
大学を卒業して初めての就職先が某大手の自動車会社でした。
栃木の工場で3か月程度現場研修を体験した後に、初めての配属先が繊維機械部門でした。繊維機械の制御設計を行ってました。繊維機械というのは、その名の通りですが、自動機織り機械です。
マイクロコンピュータの黎明期でもあり、本当は車に搭載するマイクロコンピュータの設計を希望して入社しましたが、それがかなわず1年後に転職を決意しました。
大手AV機器メーカー(1983年3月~2011年3月、28年間)
大学時代の友人に転職先を相談したところ、だったらうちに来たらとの軽い誘いに乗って転職先を決めました。転職支援会社にも相談したようにも記憶してますけど、結局、気に入った転職先が見つからなかったこともあります。
ここから28年間、よく続いたと思いますよ、自分でも。多分、仕事の中身だけではなく、色んな条件が良いほうに傾いてその結果、続けることができたんでしょうね。しかし、続けることが良かったのかどうか、現時点、よくわかりません。というのも僕が配属されたのがテレビ関係の事業体だったので、結局は2011年時点ですでに会社の事業としては、「風前のともし火」状態で、僕が退職して間もなく事業を完全にたたんでしまったので。

ケーブルテレビ関連団体(2012年2月~2014年10月、2年9ヶ月間)
テレビの事業のフェードアウトのタイミングで会社として「早期退職支援」を行っていたこと、いい加減見切りをつけて、別の分野で再出発してみたいとの気持ちから2011年3月に退職しました。テンポラルな仕事を10か月程度経由して、ケーブルテレビ関連の団体に就職しました。
はいるときも入ってからも色々とありましたが、結果的には、転職してよかったと思えました。28年間モノづくりをずーとやってきましたけど、技術分野的には似通ってはいるものの、アウトプットが全く異なるため、やりがいを感じることができたからです。ケーブルテレビ関連の技術規格の策定、関連技術文書の執筆、ケーブル事業者への技術セミナーの実施、技術規格策定のためのワーキンググループの主導など、大変ではありましたが楽くもありました。